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【セルビア旅行記】11:聖サヴァ大聖堂の教会モザイクを実物と比べてみる

ベオグラード旅行記。完全に超個人的興味で、聖サヴァ大聖堂の壁面モザイクに描かれた、デフォルメされたセルビア正教会の実物を探り、並べてみました。

 

目次

 

 

聖サヴァ大聖堂のモザイク描写の教会と寄進者

聖サヴァ大聖堂内は天井、壁が金ぴかモザイク。

お決まりの聖書の各場面の他にも、中世セルビアがこれまで建築してきた重要な教会を捧げ持つ、その時々の君主の絵が描かれています。

セルビア語が一切読めないので、教会を捧げ持つ人物の横に示された名前がわかりません。

ところで、正教会の内部に描かれるビザンティン芸術のイコンやモザイクって、信仰の対象そのものという意味があるのか、ある程度様式が決まっています。

古代ローマとかルネサンス以降の西洋絵画みたいに、写実的な描写はNGなのがルールっぽい。

1935年に建築がはじまった聖サヴァ大聖堂のモザイクも、おそらくこの正教美術ルールにのっとって、写実的すぎない人物や教会描写にしたんだと思います。。。

このため、大好きな教会建築モザイクも、かなりデフォルメされている。

それを全部写真に撮ってきたので、グーグルレンズの翻訳とウィキペディアと教会の形などから、どの君主によるどの教会であるかを探り当てようという個人的試み。全問正解は無理でした。

 

ステファン・ネマニッチとジチャ修道院

ステファン・ネマニッチ。別名ステファン・ザ・ファースト、という呼ばれ方をしており、セルビア語(СтефанПрвовенчани)はこちらの別名が書かれている。ステファン・ネマニャの息子。この人はジチャ修道院を建てたということなので、手に捧げるのは赤いで有名なジチャ修道院、だと思う。モザイクでもうっすら赤いし。。。隣の写真は行ってみたけど修復中で赤いのがそぎ落とされていたジチャ修道院

ステファン・ラドスラフとジチャ修道院

ステファン・ネマニッチの息子、ステファン・ラドスラフ(Стефан Радослав)。ステファン・ネマニッチとともにジチャ修道院の共同創設者である、とウィキペディアに書いてあったので、おそらくこのうっすら赤い教会も、ジチャ修道院ということなのでしょう。

ステファン・ヴラディスラヴとミレシェヴァ修道院

ウィキペディアで調べるまで、この人の名前を知らなかった。ミレシェヴァ修道院を建てたステファン・ヴラディスラヴ(Стефан Владислав)。ステファン・ネマニッチの息子。それより手に捧げるミレシェヴァ修道院、中央のドームが一つしかなくて、さらに側面の三角屋根のところに入口があるのだが。。。

後ろの半円型のふくらみと、その手前の小さい膨らんだところ、側面の三角部分からミレシェヴァ修道院に間違いないと思うけれども、これが建築当時の姿ということなんでしょうか。

ウロシュ1世とソポチャニ修道院

ウロシュ1世(Стефан Урош I)のモザイク。この人はソポチャニ修道院を建てた人です。ということで、手に持っているのはソポチャニだと思うんですが。。。モザイクでは正面の鐘楼がないけどこれであってるかな。

 

ステファン・ドラグティンとアリリエの聖アキレリウス修道院

ステファン・ドラグティン(Стефан Драгутин)。これはわかる!この人が持つのは、アリリエの聖アキレリウス修道院です。アリリエの教会内で、この人の肖像画フレスコ画を見てきました。モザイク画でも波模様の特徴を踏まえていてわかりやすいです。

 

ウロシュ2世ミルティンとグラチャニツァ修道院

ウロシュ2世ミルティン王(Стефан Урош II Милутин)のモザイク。この人は私の大好きグラチャニツァ修道院を建てた人で有名なので、手に持つ、もこもこのドームがたくさんあるのはグラチャニツァ修道院で間違いない。

 

ウロシュ3世とデチャニ修道院

ステファン・デチャンスキとしても知られるウロシュ3世(Стефан Урош III Дечански)。特徴的な横ストライプの教会は間違いなくヴィソキ・デチャニ修道院なのです。

 

ウロシュ4世ドゥシャンと謎教会

Monastery of the Holy Archangels - Wikipedia

ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン(Стефан Урош IV Душан)。ウィキペディアによると、この人の最大の寄進は「プリズレンの町の近くにある聖大天使修道院」ということなので、手に持ったラシュカ様式の教会はこれではないかと想像。しかし2004年のコソボの暴動で廃墟になってしまっている。生前の写真がないのでわからない。。。違う教会かもしれない。。

 

ウロシュ5世とウロシュ聖堂?

Church of the Holy Emperor Uroš and Madhe Mosque – Ferizaj, Kosovo - Atlas Obscura

ウロシュ5世(Стефан Урош V)はウィキペディアだとなんの教会も修道院も作っていないのですが、じゃあ手に持ってるのは何だろうとおもって調べてみると、コソボのフェリザイ、またの名をウロシェバツという街に、1920年代にウロシュ5世に捧げた教会が建てられたとのこと。この外観がなんか似てるので、これかなあと思ってます。けど、小さいドームが4つあるけどモザイクでは2つしか見えないし、やっぱり違うかもしれない。黄色くないし。

 

ラザール王子とラヴァニツァ修道院

ラザール王子(кнез Лазар)。と、手に持つのはこの人が寄進して建てたラヴァニツァ修道院だと思うのですが・・・微妙に、違う気もする。というのも窓の数が写真では足りないように見える。でも中央ドームが一つと、それを取り囲む4つの小ドーム、窓の位置が1階、2階と区切られているところはそっくりなのですが。

 

ステファン・ラザレヴィチとマナシヤ修道院

ラザール王子の息子ステファン・ラザレヴィチ(Стефан Лазаревић)のモザイク。この人は戦争の時代において要塞に囲まれたマナシヤ修道院を建てた人。手に持つのは、波型の模様や逆U字型の装飾などからマナシヤ修道院で間違いなしかと。

一通りみ見て気づきましたが、ミレシェヴァも、ソポチャニもデチャニも、ナルテックス部分はモザイクでは省略されてます。これは建築当時なかったということか、それともナルテックスは人間の待機場所であり「神の家」部分ではないので、モザイクには描かれないということかもしれない。

 

ジュラド・ブランコヴィッチと謎教会

Smederevo Fortress - Wikipedia

ジュラド・ブランコヴィッチ(Стефан Лазаревић)はステファン・ラザレヴィチの次のセルビア専制君主となった人物。この人のウィキペディアを見ても、どの教会を建てたかがわからなかった。スメデレヴォ要塞というのを作ったので有名らしいのですが。。。なので、要塞の写真を隣に置いてみた。

おまけ・聖サヴァ大聖堂を持つ

聖堂内部の目立つところではなくて、少し奥まったところにあったモザイク。聖サヴァ大聖堂を持って控えめに立っている。これはセルビア正教の総主教かと思いました。

このモザイクでは、聖サヴァ大聖堂はわりかし実物の形状、縮尺に忠実な描写になってるように思えます。そんなところも今っぽいモザイクです。

 

セルビア旅行計画≫

  1. ビザンティン建築と西欧風の良いとこ取り。中世セルビア正教会の修道院めぐり
  2. セルビア教会建築めぐり、計15か所。余裕を持った行き方と観光ルート

セルビア 旅行記

  1. ストゥデニツァ修道院・ジチャの修道院・グラダツ修道院
  2. ペトロヴァ教会・ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院・ソポチャニ修道院
  3. アリリエの聖アキレリウス修道院・ミレシェヴァ修道院
  4. リュボスティンヤ修道院・カレニッチ修道院・ラザリツァ教会
  5. ナウパレ修道院・聖ニコライ聖堂・セルビアの東武ワールドスクウェア
  6. ラヴァニツァ修道院・マナシヤ修道院+旧ユーゴ時代のSpomenik
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  11. 聖サヴァ大聖堂の教会モザイクを実物と比べてみる ⇐今ココ