2015年5月、コソヴォにセルビア正教建築を見に行った旅行記です。オスマン帝国時代の雰囲気の残るプリズレンに行きました。
目次
タクシーでプリズレンへ行く
ペヤからプリズレンへはタクシーで行きました。
タクシーは前日にデチャニ修道院まで行ってくれた運転手さんと同じ人。
デチャニ修道院まで乗ってるときに、翌日はプリズレンに行く、と言うと身を乗り出されて営業されたんですが、何時に行くか決めてなかったし、明日になってから出発時間を決めるから、と一度断ってたんですよね。そしたら翌朝、ホテルのロビーで出待ちしてました。営業熱心な人です。
ペヤからプリズレンまで2時間~2時間半くらい。
プリズレンまでの道のりでは相変わらず、「この村では300人死んだ」「ここの村は200人死んだ」「ここのレストランはうまい」と、戦災地とうまいレストランについてのガイド。最初はショックを受けたけど、「何百人単位で死んだ」という場所が多くて、感覚が麻痺してくる。
プリズレン到着
昼前にプリズレンに到着です。
オスマン帝国時代の建物が多く残り、昔ながらの雰囲気を残す古都プリズレン。
有名な石の橋。
プリズレン要塞と、川。日本の温泉地みたいな雰囲気の街です。
ホテルはここに泊まりました。
広くはないけど綺麗なホテルでした。
部屋の窓から見えた、プリズレンのアパート。
屋根が壊れてるように見えるけど、あえて壊したのかもしれない。下の写真は別日に撮ったもの。
コンクリートの枠の間にブロックを積んだだけの壁でした。バルカンの生活を少しのぞき見できた感じ。
観光する前にランチ。相変わらずのバルカン肉料理を食べました。
有刺鉄線で囲まれた、リェヴィシャの生神女教会
この街にも世界遺産の教会があるというので、住宅街の中、地図を見ながら歩いて行ったのですが。。。
鉄柵で囲まれ、門は閉じており入れませんでした。
14世紀のセルビア王ミルティンの治世時に建てられた歴史ある教会。ですが、2004年のコソヴォの暴動の際、内部が焼き討ちにあったとガイドブックに書かれてました。
しょうがないのでぐるぐる回りを回って外観の写真を撮る。
中世セルビアのビザンティン建築の中でも、ビザンツ帝国の様式に寄せたセルビア・ビザンティン様式、と言われているものです。
鉄柵の間からなんとか中のフレスコ画を見れないか・・・と思って撮ったもの。
これだけじゃ全然わかりません。
教会は有刺鉄線で囲まれてました。2015年の状況なので、今は違うかもしれませんが。
背の高い鐘楼。
セルビア・ビザンティン様式のビザンティン建築らしさが良く出ている教会でした。有刺鉄線で囲まれている教会というのはかなり物騒です。現在では中に入れるんでしょうか?
KFORの装甲車もなく、観光客もなく、ムスリムばかりの街の中で、腫れ物のようにしんと静まり返っていた教会でした。
プリズレン要塞に登ろう
次に、あの山の上に見えるプリズレン要塞に行ってみることにします!
川沿いの良い形のモスク。
リェヴィシャの生神女教会近辺は住宅街で全然人がいませんでしたが、川沿いの方はたくさん人があふれてます。
さて、登山です。
さっきまで見てたモスクを見下ろす。
山の途中に、壊れかけなのかつくり途中なのかわからない家。
コンクリートでほっそい枠だけ建てて、その間をレンガブロックで埋めていくという、耐震もへったくれもなさそうなバルカンの家。地震大国ニッポン人から見ると、なんという不安な建て方でしょう。。。
ちょうど中腹あたり。
地元の人なのか、コソヴォ国内の観光客なのか、けっこう人がいます。
山の途中で、いい感じの廃教会を見つけました。
きれいなビザンティン建築が壊されずに残ってました。
中にもうっすらとフレスコ画があります。
しばらく登ると見える、廃教会の全貌。
到着ー。コソヴォの国旗が立っていた。
この頂上エリアで、地元の若者たちから一緒に写真を撮ってくれと、やたらと声をかけられて、何枚か一緒に写りました。
2019年くらいにトルコの東部ワンでも同じようなことがあったんですが、全然知らない外国人と一緒に写真を撮るって、どういう文化なのかいまいちよくわからないです。
見下ろすプリズレンの街。赤い屋根が広がってます。
おまけ:プリズレンの街なみとか
街なかの写真も撮ってました。
今となっては味は全く覚えてませんが、街なかの売店で買ったと思われるビール、ワイン、スナック菓子と水。
次の日が最終日。首都プリシュティナに戻ります。
(続く)