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続きを読む【コソヴォ旅行記】4:最終日の修道院観光・謎に魅力的なグラチャニツァ修道院
2015年のコソヴォ旅行記です。グラチャニツァ修道院を見に行きました。
グラチャニツァ修道院
グラチャニツァ修道院は首都プリシュティナから10キロほど。タクシーで15~20分くらいのところにあります。
この修道院はかなり広い敷地が塀で囲まれてました。塀の上にはやっぱり有刺鉄線。
この塀の外の道路向かいあたりに柄の悪そうな若者がたむろってて、観光後、タクシー待ち時間の際に大声でなんか叫ばれたりしました。内容とかは覚えてないですが。
外観が魅力的!
グラチャニツァ修道院。
なんでしょうね、この不思議な外観。この建物の複雑さや力強さや美しさ、下から見上げた時の全貌の掴めなさ・・・。ひたすら周りをぐるぐる回ったり近づいたり遠ざかったりして感動していました。
デチャニ修道院も美しかったけれど、あれは万人受けする普遍的でわかりやすい美しさだと思う。
対して、こっちの建築は珍奇なものを見たときに目が離せなくなる的な、よくわからない魅力を発してました。
このレンガの線が細かく作る模様。。。ドームのてっぺんに刺さってるお花柄みたいな針金の十字架・・・真ん中のアーチだけ尖ってるところ。。。どうにも抗い難い魅力。
セルビア正教建築様式、第2バージョン
以下は、セルビアを旅行してきたあとの今だからこそ知っている、グラチャニツァ修道院についてのうんちくです。
グラチャニツァ修道院は中世セルビア王国のステファン・ウロシュ2世ミルティンが14世紀に建てた教会です。
この人はビザンツ帝国の王女と結婚したことを機に、ビザンツ宮廷文化を積極的に取り入れ始めました。大国の宮廷に近づきたい!という思いがあったのだと推測される。
教会建築も、それまでの西側のロマネスク様式との混淆スタイル(「ラシュカ様式」と言う。例:デチャニ修道院)ではなく、ビザンツ帝国風の建築様式に一新しました。
その時期の建築様式が「セルビア・ビザンティン様式」と分類されていて、そのひとつがこのグラチャニツァ修道院です。
なお前日に見てきたプリズレンのリェヴィシャの生神女教会もミルティンがセルビア・ビザンティン様式で作った教会。
ほかにもアトス山のヒランダル修道院や北マケドニアの聖ジョルジョ聖堂などが、ミルティンが建てた同じ様式の教会として有名です。
なお、上記の「セルビア・ビザンティン様式」教会は、どれも現在のセルビア国内には存在していない、という状況。
セルビア・ビザンティン様式建築の中でも変わっている
ところで、「セルビア・ビザンティン様式」と言われている建築群の中でも、グラチャニツァ修道院は典型的なビザンティン建築ではない、という点で変わっているのです。そこらへんが、この抗いがたい魅力の理由かもしれない。
ビザンティン建築本によると、リェヴィシャの生神女教会、聖ジョルジョ聖堂はビザンツ帝国の建築家が建てたと推測されるが、グラチャニツァ修道院は必ずしもそうとは言えない。とのこと。
建築構造などを見るに、典型的ビザンティン建築手法が全く新しい使われ方をしている。。。のだそうです。
やたらと重なるアーチの多さや上へ上へと縦方向に伸びる感じなど、確かにほかの典型的なビザンティン建築にはない要素。
そういう「ちょっと変」があるからこそ、強く心に残ったのかもしれないです。(こういう教会建築をもっと見たくて、個人的なビザンティン教会巡りが始まった。)
そのほか敷地内の様子
修道院を取り囲む広い敷地の様子です。
広いです。デチャニ修道院よりも、ペーチ総主教修道院よりも広いかも。
それから、この修道院、じつは建物構造よりも内部のフレスコ画の方が有名です。(内部の写真撮影は禁止。)素晴らしいビザンティン宗教画が一面描かれてました。
敷地内にはお土産屋もありました。そこでグラチャニツァ修道院のミニチュア置物があって、わりと長い時間手に取って眺めたりぐるぐる回してみたりしたんですが、結局迷いに迷って買いませんでした。
今から思えば買えば良かったかな・・・とも思うんですが、微妙にデフォルメが入っていて正確なミニチュアではない部分が気になったんですよね。
ちなみに、デチャニ修道院の記事でも書きましたが、セルビアのクルシェヴァツという街でこの修道院のミニチュアを存分に眺めることができます。
かなり正確なミニチュアです。ドームやアーチの重なり具合を上から存分にみられるところが、ミニチュアの良いところですよね。
プリシュティナの街並み
観光を終えてプリシュティナに戻る。
首都プリシュティナには近代建築などの見どころが色々あったと思うんですが、グラチャニツァ修道院で時間を使い切ってしまって、全然観光してません。ホテルや食べにいったレストラン、それらの近くの街並みの写真だけ残ってました。
旧市街にあるモスク。
コソヴォに限らずですが、トルコとかバルカン半島の街はドレス屋が多い気がする。
これでコソヴォも最終日なので、ガイドブックにも載っているレストランでディナーにしました。
コソヴォ、というかアルバニア?バルカン半島の地元料理。ワインもなみなみ注いでくれて、雰囲気も良くて美味しかったです。
コソヴォ出国
翌日、あっというまのコソヴォ国内観光を終えて出国の日。ホテルからタクシーで空港まで向かいました。
タクシーの運転手さんは若い男性でした。
コソヴォはどうだったか、と聞いてきたので修道院が良かった。とか答えたと思うんですが、彼は、そうか、自分にとってコソヴォは全然良くないけどね、と喋ってきました。
彼は紛争中は北欧(スウェーデンだったかフィンランドだったか)に住んでいたそうです。紛争が収束してコソヴォに連れ戻されたと言ってました。一刻も早く北欧に戻りたい、と。この国はノージョブ、ノーエンターテイメント、だと。(他にもいくつかノー○○と言っていた覚えがある)
これまたリアクションに困る会話でしたが、こういうのを10年近く経ってても覚えてるというのはやっぱりそれなりに強烈な思い出だったんだなあと思います。
【コソヴォ旅行記】3:古都プリズレン観光。教会とか要塞とかを見る
2015年5月、コソヴォにセルビア正教建築を見に行った旅行記です。オスマン帝国時代の雰囲気の残るプリズレンに行きました。
目次
タクシーでプリズレンへ行く
ペヤからプリズレンへはタクシーで行きました。
タクシーは前日にデチャニ修道院まで行ってくれた運転手さんと同じ人。
デチャニ修道院まで乗ってるときに、翌日はプリズレンに行く、と言うと身を乗り出されて営業されたんですが、何時に行くか決めてなかったし、明日になってから出発時間を決めるから、と一度断ってたんですよね。そしたら翌朝、ホテルのロビーで出待ちしてました。営業熱心な人です。
ペヤからプリズレンまで2時間~2時間半くらい。
プリズレンまでの道のりでは相変わらず、「この村では300人死んだ」「ここの村は200人死んだ」「ここのレストランはうまい」と、戦災地とうまいレストランについてのガイド。最初はショックを受けたけど、「何百人単位で死んだ」という場所が多くて、感覚が麻痺してくる。
プリズレン到着
昼前にプリズレンに到着です。
オスマン帝国時代の建物が多く残り、昔ながらの雰囲気を残す古都プリズレン。
有名な石の橋。
プリズレン要塞と、川。日本の温泉地みたいな雰囲気の街です。
ホテルはここに泊まりました。
広くはないけど綺麗なホテルでした。
部屋の窓から見えた、プリズレンのアパート。
屋根が壊れてるように見えるけど、あえて壊したのかもしれない。下の写真は別日に撮ったもの。
コンクリートの枠の間にブロックを積んだだけの壁でした。バルカンの生活を少しのぞき見できた感じ。
観光する前にランチ。相変わらずのバルカン肉料理を食べました。
有刺鉄線で囲まれた、リェヴィシャの生神女教会
この街にも世界遺産の教会があるというので、住宅街の中、地図を見ながら歩いて行ったのですが。。。
鉄柵で囲まれ、門は閉じており入れませんでした。
14世紀のセルビア王ミルティンの治世時に建てられた歴史ある教会。ですが、2004年のコソヴォの暴動の際、内部が焼き討ちにあったとガイドブックに書かれてました。
しょうがないのでぐるぐる回りを回って外観の写真を撮る。
中世セルビアのビザンティン建築の中でも、ビザンツ帝国の様式に寄せたセルビア・ビザンティン様式、と言われているものです。
鉄柵の間からなんとか中のフレスコ画を見れないか・・・と思って撮ったもの。
これだけじゃ全然わかりません。
教会は有刺鉄線で囲まれてました。2015年の状況なので、今は違うかもしれませんが。
背の高い鐘楼。
セルビア・ビザンティン様式のビザンティン建築らしさが良く出ている教会でした。有刺鉄線で囲まれている教会というのはかなり物騒です。現在では中に入れるんでしょうか?
KFORの装甲車もなく、観光客もなく、ムスリムばかりの街の中で、腫れ物のようにしんと静まり返っていた教会でした。
プリズレン要塞に登ろう
次に、あの山の上に見えるプリズレン要塞に行ってみることにします!
川沿いの良い形のモスク。
リェヴィシャの生神女教会近辺は住宅街で全然人がいませんでしたが、川沿いの方はたくさん人があふれてます。
さて、登山です。
さっきまで見てたモスクを見下ろす。
山の途中に、壊れかけなのかつくり途中なのかわからない家。
コンクリートでほっそい枠だけ建てて、その間をレンガブロックで埋めていくという、耐震もへったくれもなさそうなバルカンの家。地震大国ニッポン人から見ると、なんという不安な建て方でしょう。。。
ちょうど中腹あたり。
地元の人なのか、コソヴォ国内の観光客なのか、けっこう人がいます。
山の途中で、いい感じの廃教会を見つけました。
きれいなビザンティン建築が壊されずに残ってました。
中にもうっすらとフレスコ画があります。
しばらく登ると見える、廃教会の全貌。
到着ー。コソヴォの国旗が立っていた。
この頂上エリアで、地元の若者たちから一緒に写真を撮ってくれと、やたらと声をかけられて、何枚か一緒に写りました。
2019年くらいにトルコの東部ワンでも同じようなことがあったんですが、全然知らない外国人と一緒に写真を撮るって、どういう文化なのかいまいちよくわからないです。
見下ろすプリズレンの街。赤い屋根が広がってます。
おまけ:プリズレンの街なみとか
街なかの写真も撮ってました。
今となっては味は全く覚えてませんが、街なかの売店で買ったと思われるビール、ワイン、スナック菓子と水。
次の日が最終日。首都プリシュティナに戻ります。
(続く)
【コソヴォ旅行記】2:美しさにため息・・・!白くて端正なデチャニ修道院
2015年5月、コソヴォにセルビア正教建築を見に行った旅行記です。デチャニ修道院を見に行きました。
目次
タクシーでデチャニへ行く
午前中はペーチ総主教修道院を見てきたので、午後はタクシーで南下してデチャニ修道院へ行きます。
拠点にしているペヤの街から16キロほど。車で片道30分くらいです。
ホテルで頼んだタクシー。若い運転手さんで、英語でたくさん地元案内をしてくれる人でした。
ただ・・・その地元案内というのが、「この村では300人死んだ」「ここの村は200人死んだ」「ここのレストランはうまい」というもので、うまいレストランと、激しい戦地となった場所の繰り返しでした。つい最近まで戦争をしていた国のリアル。
山間のほうに行きます。
ヴィソキ・デチャニ修道院
デチャニ修道院の入り口に到着です。
厳重警戒
EUマーク。そして、ここも当然のようにKFOR(コソヴォForce、コソヴォ治安維持部隊)が常駐している。
入場口は何やら工事中でした。
白い!美しい!デチャニ修道院
門をくぐると、工事中の雑な感じや物々しい雰囲気は一変。広い敷地内に端正な建物が鎮座していました。
凄ーい!白い!綺麗!!午前中に見てきたペーチ総主教修道院とは、色も形も全然違います。
綺麗で整った形の教会です。イタリアとかの教会建築に似ている。実際、大理石の色の違いでストライプ模様にするなどは、イタリアなど西ヨーロッパの影響を受けて作られたものらしいです。
(西欧のロマネスク様式とビザンティン様式の混合で、ラシュカ様式と言います。見てきた当時は全然そんな知識はなかったんですが)
横からみても綺麗。
中世セルビア王国のステファン・ウロシュ3世によって建てられた、14世紀の建築です。ちなみにこちらの修道院は内部のフレスコ画もすごかったんですが、写真撮影は禁止でした。
教会を囲む修道院の敷地は芝生と敷石で綺麗に整備されています。
ファサード部分の彫刻を接写。キリストの洗礼のシーンですね。
この教会のビザンティン建築らしいところ、ドームを接写。
シンプルです。
セルビアから見ても重要修道院
このときはただデチャニ修道院の美しさに感動するばかりでしたが、セルビアを旅行してきた今では、これらのコソヴォに存在する修道院が、セルビアにとってどれだけ重要修道院か、ということがわかります。
例えばこちらはベオグラードにある聖サヴァ大聖堂です。
この中で、中世セルビアの重要修道院を創った歴代君主たちがモザイク画で描かれていました。
こんな風に。
以下がピンぼけしてますが、デチャニ修道院を創ったステファン・ウロシュ3世。
手に抱えているのは横ストライプが特徴的なデチャニ修道院です。
また、コソヴォの独立を承認していないセルビアは、コソヴォをまるっきりセルビアの領土として扱ってる雰囲気がありました。グーグルマップで見てもセルビアとの国境は点線表示。
デチャニ修道院も含めたコソヴォの世界遺産の修道院はセルビアにとっては当然セルビアのもの…!と思っていると思う。
例えばこちら、クルシェヴァツというセルビア南部の街の高台にある公園です。
この公園の敷地内に、セルビア正教の重要修道院のミニチュア模型が、実際の国土の位置関係を模して設置されてます。わりと最近できたところです。
・・・ここに、当然のようにコソヴォの分の国土もあり、当然のようにペーチ総主教修道院、デチャニ修道院、グラチャニツァ修道院のミニチュアが置かれてました。
あまりにも当たり前にコソヴォの国土がセルビア領土として扱われている。この辺がセルビア国民のメンタリティなのか、と思いました。
セルビア正教会建築界の最高傑作
ちなみに観光客目線から言わせていただくと、セルビアで世界遺産になっているストゥデニツァ修道院とこのデチャニ修道院を比べると、建築物としての美しさ・完成度はデチャニ修道院の方が断然上!!です。
同じ世界遺産で、同じ「ラシュカ様式」とされているストゥデニツァ修道院は、白い大理石部分と茶色いレンガ部分と赤いドームが乗ったツギハギのような建物でした。
ビザンティン建築本を読んでみても、やはりデチャニ修道院を「ラシュカ様式の最高傑作」とする扱い。
ストゥデニツァ修道院のほうがだいぶ先(12世紀)に作られたので、それから技術や建築様式が切磋琢磨され洗練されて、14世紀にデチャニ修道院ができた、ということだと思うんですが。
セルビア的にはかつての自国の王が作ったものの一つだし、中でも一番できのいい修道院を国土ごと別の国の世界遺産となっているということで、なかなか認めたくないところがあるんじゃなかろうか。。。
(もちろんセルビアにあってコソヴォにはない美しい教会建築も多々あります)
ということで、非常に美しい修道院でした。これからも美しいまま、戦争や紛争で壊されたりしませんように。
(続く)