【北マケドニア旅行記】6:さよなら北マケドニア。この国のアイデンティティ迷子具合に思いを馳せる
2度目の北マケドニア。最終日5日目は、陸路で北マケドニアからブルガリアに越境しました。
目次
陸路でブルガリアへ
丸4日間で、オフリドとスコピエを拠点にした北マケドニアの教会観光が終了。5日目は朝から陸路でブルガリアに向かいます。
スコピエからバスも出てますが、チャータータクシーの運転手から、途中の有名な修道院に寄ってくからと営業をかけられて、タクシーで行くことにしました。
これまで運転してくれた人とは別の運転手・別の車でしたが、変わらず快適でした。
オソゴフスキ修道院
国境に向かう途中に、修道院に寄りました。
山の中の斜面沿いにあって、上から見たところはなかなか素敵です。
駐車場を降りたら斜面沿いに降りていきます。
ありました。オソゴヴスキというのはこの地で修行した修道僧の名前です。奥にあたらしい大きい聖堂、手前に小さい聖堂がありました。
この小さいのが、年代はよくわからないけれどまとまった形でかわいい。
大きい方は正教会らしいカラフルなフレスコ画とイコノスタシスが美しいです。
こちらがオソゴヴスキさん。
タクシー運転手によると、ここは北マケドニア正教会の中で2番手か3番手の重要修道院らしいです。ちなみに1番手は、スコピエとオフリドの中間あたりの国立公園近くにある、Bigorski 修道院だそう。
聖ナウム修道院は?と聞いてみたら、あそこは観光客向けの教会だから違う、と言ってました。北マケドニアに限らずですが、バルカンの人たちはみんな信心深いです。
マケドニア語とブルガリア語は全く異なるという主張
旅行前にガイドブックか何かで「北マケドニア語はブルガリア語の一方言である」みたいな情報があって、へえーと思っていました。
この後ブルガリアも旅行するので、世間話のつもりで「北マケドニア語はブルガリア語に近いのか」と聞くと、昨日までの運転手も、この日の運転手もNoというのです。全然似ていない、あちらの言葉はわからない。セルビア語の方がまだ近い。と言うんですよね。
また、この日の運転手は「我々がいかにブルガリアに嫌がらせされているか」について話してくれました。
最近EUに加盟したブルガリアは、北マケドニアがEUに加盟したいなら、マケドニア語がブルガリア語の方言だと認めること、そうでないと加盟を許可しないと言っていること。
また、ブルガリアにはわりと多くの北マケドニア人たちが住んでいて、彼らがブルガリアのパスポートを申請する際(ブルガリアはEUに加盟しているので、ブルガリアパスポートを取得できればEU域内の移動が便利になる)、「北マケドニア語はブルガリア語の方言である」と記載された書面に署名を求められるという。踏み絵みたいですね。
そういえば前日までのタクシー運転手は「ユーゴスラビア時代が良かった」と言ってました。北マケドニア人としてはかつて同じ国だったセルビアの方に好感を持ってるみたいです。
何故か古代マケドニア王国を意識している
この国の国名「macedonia」の名称について、長いことギリシャと揉めてきたのは記憶に新しい話です。
北マケドニアの大統領?が、「我々の国の祖はアレキサンダー大王が創ったマケドニア帝国(と同じ敷地)である」と声高々に宣言したみたいで、ギリシャがこれに大反発。国名にnorthが付くことで一応終わった扱いにはなってるけど。
アレキサンダー大王は古代ギリシャの英雄でヘレニズム文化を広めた人。彼のマケドニア帝国の敷地に、中世になってから南下してきたスラブ人がたまたま住むことになっただけです。ギリシャ人からみると、自分たちの祖先の国名を勝手に名乗られてる、という気持ちなんだと思います。
でも19世紀~20世紀にかけて、周りの地域、ギリシャ・セルビア・ブルガリアが次々と自分たちの国・民族としてのアイデンティティを固めてオスマン帝国から独立していく中で、この地域に住むスラブ人たちも「自分たちの国」という意識を、急ごしらえでも醸成しなければならなかったのかなあ、とか思いました。団結するための共通項が、かつてマケドニアだった場所に住んでいる、ほんとにこれだけしかなかったのかもしれない。
マケドニアルビーの思い出
北マケドニアでのみ獲れる鉱石でピンク色のコランダムがあるのですが、これがマケドニアルビーという名の宝石として流通してます。これもガイドブックに載っているので知っている人は多いと思います。
オールドバザールの宝飾品店エリアを歩いているときに、マケドニアルビーと書かれた看板があったので入ってみました。
ネットの画像検索で出てくるマケドニアルビーは、透明感はほとんどなくて、そのせいかほぼ全部がカボションカットで、民芸調の蝶とかお花などのシルバーの枠に収まっているものが多いです。
↑画像検索結果の例。
オールドバザールの店に並んだマケドニアルビーも、民芸品的なものでした。それで、加工されたものではなくて原石が見たい、と言ってみたら、たくさんお盆に乗せた山盛り原石を出してくれました。(写真を撮らせてもらえばよかった。)
ピンク色は濃淡ありますが、やっぱり色が濃くて大きなものが価格が高くなるようで、親指の先くらいのもので日本円で1万数千円とかそんな感じでした。見た目はローズクオーツの原石に少し似てます。
そこの店主は自分はアルバニア人だ、と言ってました。マケドニアルビーを扱う人が全員アルバニア人というわけではないでしょうけど、「北マケドニア人とは言わないんだなあ・・・」と思いました。
「トルコ人」とか「アルバニア人」って、世界中どこに住んでいてもアイデンティティの輪郭がくっきりはっきりしており、かえって北マケドニア人のアイデンティティの弱さみたいなものが浮かび上がる気がしました。
あと、北マケドニアにはコランダムを研磨できる機器がないのでドイツまで行って加工してると言ってました。本当かなあ。
さよなら北マケドニア
さよなら、2度目の北マケドニア。さすがにもう訪れることはないだろう。。。
今回は教会目当ての旅行でした。ひとつだけ修復中で見れなかった教会があったけど、その他は見たいところは全部見れて大満足です。スコピエもオフリドも堪能したし。ありがとう北マケドニア。
≪北マケドニア旅行計画≫