2017年8月、ギリシャのダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院の旅行記です。アテネからチャータータクシーを使って、ダフニ修道院とオシオス・ルカス修道院を一気に観光。
(旅行計画)
【ギリシャ】ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ネア・モニ修道院に11世紀のモザイクを見にいく(丸4日と3時間) - 超個人的★ヨーロッパ旅行のHow To
【ギリシャ】ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院の行き方(丸4日と3時間) - 超個人的★ヨーロッパ旅行のHow To
目次
チャータータクシーで出発
事前にメールで予約していたPK Travel社のチャータータクシーで、ホテルから車で出発。乗ってるだけで良いので楽です。
車内は清潔で、運転手も感じの良いギリシャ人。もちろん英語を話します。車内にはペットボトルの水がありました。
ダフニ修道院
入り口です。チャイムを鳴らしたら開けてもらえます。
これがダフニ修道院です。
大きいです。ネア・モニ修道院と比べるとかなりの大きさ。ちなみに平面図はこのようになってます。
写真の入り口は、ちょうどこの平面図の真ん中下あたり。
正面外側。
内部の中央聖堂(カトリコン)です。
ネア・モニ修道院では失われていたドーム部分に、キリストのパントクラトールが残っています。
四隅のスクィンチにもモザイク。損傷しているとはいえ、当時の様子が伝わってきます。
パントクラトールのキリストの顔です。迫力が凄い。
スクィンチのモザイクです。受胎告知、降誕、洗礼、そして変容。
左右の柱部分にも、印象的なモザイクがありました。磔刑と冥府降下です。
すごく高いところにあるので写真に撮りにくい。。。
もし損傷がなかったとすれば、かなりのゴージャスな内装になっていたと思います。こんなに規模が大きいのに、この修道院の設立経緯などは不明らしい。
そのほかのモザイク。
なお、これらのモザイクは、地震で被害を受けた後、1890年代に修復されています。全部が完全に11世紀のオリジナルというわけではないそう。
だとしても十分な見ごたえがありました。
いまだ修復途中で、実際に修道院や聖堂としては使われておらず、その辺がネア・モニ修道院やオシオス・ルカス修道院とは違います。
広場にはこのようなプレートがありました。
この部分は、21世紀の建物ですよ~とのこと。
最後に後ろ姿です。アプスの裏側。
オシオス・ルカス修道院
ダフニ修道院を出てから2時間ちょっと車を走らせたのち、ちょうどお昼頃にオシオス・ルカス修道院に到着しました。
ランチのためにどこか寄るか、と聞かれましたが、朝食をしっかり食べてきたので、どこも寄らずに観光メインでお願いしました。(運転手は私たちの観光中にお昼を済ませた模様。)
ここもけっこう山の中。景色が良いです。
ありました。大きい!ダフニ修道院よりも大きい。
門の上にあるモザイクは(これはたぶん最近のものっぽいけど)、聖ルカス。
この修道院は、奇跡を行ったり予言を行ったりした聖ルカス(10世紀没)の墓の上に建てられた修道院で、当時の巡礼の地になっていたそうです。建てられたのは11世紀。
正面です。
入ってすぐのナルテックスから、金ぴかモザイクに迎えられます。
キリスト磔刑の図。
骸骨だと思うんですが、下にいるゆるキャラみたいのがどうしても気になって、拡大して撮ってしまいました。
ダフニ修道院のモザイクではちゃんと骸骨になっていたのに。モザイク職人、どうしてしまったのか。
当時、骸骨の描写はこういうデザインが一般的だったりしたのでしょうか・・・記号みたいな??
冥府降下。
ネア・モニ修道院のものと比べてみると、こちらに描かれているソロモン王(キリストの左にいる冠の男)は確かにひげがありません。ひげ有りの老人:父王ダビデ、ひげ無しの若者:ソロモン王、と描かれるのが一般的なのだそう。
中央聖堂(カトリコン)です。
天井が高い。一気に、実際に使われている宗教施設特有の、ある種の空気に変わります。
ここも正方形の四隅にスクィンチの様式です。モザイクも残っています。
スクィンチに残るモザイクは、降誕、奉献、洗礼。ダフニ修道院とは選ぶモチーフが異なってます。
一番奥のアプスには聖母子と、その上のドームにはペンテコステのモザイク。
オシオス・ルカス修道院は聖ルカスのお墓の上に建てられた修道院です。
平面図はこんな感じ。下の大きな円があるところが、今見ているカトリコン。
カトリコンの隣にもう一つ、パナギア聖堂という建物があります。この二つの建物は内部からも行き来できるようになっていて、二つの建物をつなぐところに、聖ルカスのお墓がありました。
パナギア聖堂の方が先にできたみたいです。内部装飾はほとんど残っていません。
これらの建築について、皇帝からの援助があったことがある程度わかっているようです。(聖ルカスは、クレタ島がアラブ人から奪還されることを皇帝に予言した。)
はじめは小規模なパナギア聖堂でしたが、援助や寄進を受けて、今のカトリコンが建設されたのだろう、とのことでした。
この修道院にはクリプタもあります。
ここはモザイクではなく、フレスコ画で彩られていました。
とにかく大きくて、見るところもたくさんある修道院でした。僧坊や発掘現場、その昔オリーブからオイルを作っていた作業場などもあります。
それにしても、きらびやかなモザイクも目が慣れるとみんな同じに見えてきます。これとか・・・全部同じ人に見えますが、違うのでしょうか。
カトリコンとパナギア聖堂を後ろから見たところ。
修道院の前の広場には売店があって、修道院でつくったオリーブオイルや蜂蜜などを販売していました。
ここでギリシャのアイスコーヒー、フラッペを二つ注文したら、ケーキ付きで持ってきてくれました。嬉しい。
ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院についてはこの本を参考にしました。
(続く)