超個人的★ヨーロッパ旅行のHow To

ヨーロッパに住んでいる旅行好きです。バックパッカーやキャンプなどはしません(できません)・・・。公共交通機関ばかり利用してきた、これまでの個人旅行記録と旅のHow To。

雑感:二度目のラヴェンナで、キリスト教の正統と異端の歴史を垣間見る

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アリアーニ洗礼堂を見て思っていたこと

初めてラヴェンナに行った時、素晴らしい各種モザイク装飾に興奮しながら、それぞれの簡単な解説を見ながら見学しました。

このとき、アリアーニ洗礼堂については、

6世紀前半、東ゴート族のテオドリクス王の支配の時代に、彼らが信仰していた異端のキリスト教アリウス派の洗礼堂として建てられたもの。

という解説でした。

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アリアーニ洗礼堂(アリウス派洗礼堂)のモザイク

趣味の範囲でキリスト教史が好きなので、異端のアリウス派については初めて聞くものではなく、まあまあ知ってました。

が、なぜ異端である洗礼堂が残っているのか、とか、モザイクのどの辺が異端思想なのか、正当派キリスト教のネオニアーノ洗礼堂とどこが異なるのか、とか、いろいろ疑問がでてきてしまって、素人なりにぐるぐる考えを巡らせてました。

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ネオニアーノ洗礼堂(正統派洗礼堂)のモザイク

見た感じ洗礼者ヨハネヨルダン川の老人の位置が入れ替わったぐらいしか違いがないし、アリウス派の主張が何か絵柄に表れているのかっていうと、わかりません。 

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左がネオニアーノ洗礼堂、右がアリアーニ洗礼堂のモザイク。


・・・で、ラヴェンナから戻った後に、いくつかのキリスト教やビザンティン芸術の本を読んでいてわかったこと。

両者の絵がそっくりなのも、異端のアリウス派の洗礼堂が今なお残っていることも、至極当然のことでした。

アリウス派の洗礼堂のモザイクは、正統派から見ても、教義的に問題のない絵柄だったから、モザイクの改変や破壊が行われずに済んだのです。

歴史や美術史を学んでいる人たちにとっては当然の話だったかもしれませんが、血眼(というほどでもないけど)でアリウス派の思想がどこに表れているのかを探そうとしていた一観光客にとっては、それこそ目から鱗!の発想の転換

 

アリウス派

アリウス派キリスト教の三位一体説を否定し、神を絶対的唯一神とする思想です。キリストは神が造ったものであるから神ではない、よって神性も完全ではなく、神よりも劣る存在である、という主張です。三位一体を信条とする正統派には受け入れがたい思想でした。

 

アリウス派、テオドリクス王の痕跡を求めて二度目のラヴェンナ

アリアーニ洗礼堂のモザイクは、正統派キリスト教的にそのまま残していても問題なしだった。ということは、問題ありと判断されて、改変されたモザイクもあるということです。

そこで、美術書やラヴェンナガイドブック片手に、2018年7月にラヴェンナを再訪して、アリウス派の痕跡を見に行ってみました。

 

サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂のモザイク改変の跡

テオドリクス王による建築

アリウス派だった東ゴート族のテオドリクス王は、アリアーニ洗礼堂だけを作ったわけではありません。

アリアーニ洗礼堂の側にあるサント・スピリト教会はもともとアリウス派住民のための教会でした。また、アリウス派墓所に建てられたテオドリクスの霊廟も王自身がつくったもの。

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サント・スピリト教会とテオドリクスの霊廟

そしてサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂ももともとはテオドリクス王の建築です。


宮廷付属聖堂だったサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂

サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂は、テオドリクス王の宮廷付属聖堂として造られました。この聖堂の隣にテオドリクス王の宮殿があったのですが、今は残っていません。

アリウス派のテオドリクス王の死後、正統派キリスト教徒のビザンツ皇帝、ユスティニアヌスラヴェンナを支配しました。

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ユスティニアヌス帝

この時、宮廷付属聖堂は聖マルティヌスに捧げる聖堂に変えられました。(聖マルティヌスは異教徒と勇敢に闘ったことでも知られている聖人です)

その後、9世紀頃にクラッセ聖堂にあったラヴェンナ初代司教・アポリナリスの聖遺物をここに運んだことから、ようやっと、新しい聖アポリナリス聖堂=サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂という名前になったのだそう。

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テオドリクスの宮廷聖堂→聖マルティヌス聖堂→サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂

 

ユスティニアヌス帝時代のモザイク改変(651年)

ユスティニアヌス帝時代になってから起きたことが、この聖堂のモザイクを注意深く見るとわかるそうです。

この聖堂のモザイク装飾で一番目を引くのは、バシリカに描かれた聖人の大行列です。

改変の痕跡、その1。

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男性聖人の行列を率いる先頭の人物は、黒いガウンをまとっていて、斜め上に「聖マルティヌス」と銘があります。

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テオドリクス王の死後、聖マルティヌスに捧げる聖堂に変えたときに改変されたものだそうです。

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ここの人物がもともと誰だったのか確かなことはわからないようですが、テオドリクス王本人が描かれていたのでは、と考える説もあるそう。自分の宮廷の聖堂ですから、キリストに一番近いところに王自身が描かれているというのは、すごく自然で納得できます。

 

改変の痕跡その2。

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聖堂に入って左側は、女性聖人の行列です。

この行列のスタート地点のモザイクは、ラヴェンナの近くのクラッセの港と街です。(ラヴェンナはこの港のおかげで大繁栄したそう。)

ラッセの街を囲む塀はのっぺりとして、不自然に何もない壁が描かれてます。

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向かいあった壁面、男性聖人の行列のスタート地点には、パラティウムと記された建物が描かれていて、これはテオドリクス王の宮廷だそうです。

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この宮廷の中央ものっぺりした金色の空間があるのみで、連なるアーチには全てカーテンがかかっています。

本によると、この二つのモザイクには、もともとテオドリクス王の廷臣や家族など、あるいはアリウス派の聖人や司教たちの人物像が描かれてました。

正統派キリスト教徒のユスティニアヌス帝にとっては、残してはおけない人物たちだったようで、塗りつぶされ、あるいはカーテンで隠されたのだそうです。

これまた本の情報ですが、クラッセの港から続く金色の壁部分は、もともとはガラスのテッセラ(モザイクを作るときに使われる小片)で作られていたところを、大理石のテッセラで改変したのだそうです。肉眼ではわからなかったのですが・・・。

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ラティウムの方も、カーテンで隠されてしまった部分をよく見ると、柱のところに隠し切れなかった手や指がちょっとずつ残ってます。

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右から二番目の柱

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一番左の柱

中央の金色部分には、テオドリクス王の騎馬像が描かれていたのだそうです。

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一番左・右から二番目の柱

これらの手から想像するに、テッサロニキのロトンダのモザイクみたいなポーズだったのかな、と思ったりしました。

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テッサロニキのロトンダのモザイク。描かれている人物は両手を広げたポーズ


隠し切れなかった手をアップ。

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それにしても、ここまで隠すのなら、なぜ手や指を中途半端に残したのか、かなり不思議。もしかしたら見せしめのためだったのかもしれません。

 

ラヴェンナの歴史

ということで、充実した二度目のラヴェンナでした。

ラヴェンナは何度も支配者が変わって、歴史はそれなりに複雑ですが、栄えていたのは6世紀頃まで。その後はすっかり歴史から忘れられた街になりました。そのおかげで、イコノクラスムにも巻き込まれずに素晴らしいモザイク芸術が残ったのだから、ありがたいことです。

何も知識なしで見ても素晴らしいモザイク芸術ですが、歴史に沿って見てみると、さらに面白いです!

それに、異端思想のアリウス派という、中二病心をくすぐるワードには反応せずにはいられません。

さすがにもう行くことはないと思うけど、もし次行けるなら、建築物の古い順に回って見るということもしてみたいです。