超個人的★ヨーロッパ旅行のHow To

ヨーロッパに住んでいる旅行好きです。バックパッカーやキャンプなどはしません(できません)・・・。公共交通機関ばかり利用してきた、これまでの個人旅行記録と旅のHow To。

雑感:ラヴェンナのモザイク改変の痕跡を求めて

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アリウス派の洗礼堂、アリアーニ洗礼堂

5~6世紀の素晴らしいモザイクが残る、イタリアの少しマニアックな観光地、ラヴェンナ

初めてラヴェンナに行ったとき、素晴らしい各種モザイク装飾に興奮しながら、ガイドブックや観光パンフレットなどの解説を見ながら見学しました。

見学した中に、「アリアーニ洗礼堂」という建物があります。

この建物、ガイドブックやパンフレットには、

6世紀前半、東ゴート族のテオドリクス王がラヴェンナを支配していた時代に、彼らが信仰していた異端のキリスト教アリウス派の洗礼堂として建てられたもの。

という解説がありました。

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アリアーニ洗礼堂(アリウス派洗礼堂)のモザイク

趣味の範囲でキリスト教史が好きなので、異端のアリウス派については初めて聞くものではなく、まあまあ知ってました。

325年のニカイア公会議、それから451年のニカイア公会議で、異端であると断罪されたキリスト教の宗派です。

ですが、なぜ異端の宗派の洗礼堂が残っているのか、モザイクのどの辺が異端思想なのか、正当派キリスト教のネオニアーノ洗礼堂とどこが異なるのか、そういうことは一切解説がないのです。

いろいろ疑問がでてきてしまって、素人なりにぐるぐる考えを巡らせてました。

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ネオニアーノ洗礼堂(正統派洗礼堂)のモザイク

見たらすぐわかりますが、アリアーニ洗礼堂のモザイクは、正統派として残っているネオニアーノ洗礼堂のモザイクとそっくりなのです。

見た感じ洗礼者ヨハネヨルダン川の老人の位置が入れ替わったぐらいしか違いがないし、アリウス派の主張が何か絵柄に表れているのかっていうと、わかりません。 

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左がネオニアーノ洗礼堂、右がアリアーニ洗礼堂のモザイク。


・・・で、ラヴェンナから戻った後に、いくつかのキリスト教やビザンティン芸術の本を読んでいてわかったこと。

両者の絵がそっくりなのも、異端のアリウス派の洗礼堂が今なお残っていることも、至極当然のことでした。

アリウス派の洗礼堂のモザイクは、正統派から見ても、教義的に問題のない絵柄だったから、モザイクの改変や破壊が行われずに済んだのです。

歴史や美術史を学んでいる人たちにとっては当然の話かもしれませんが、血眼(というほどでもないけど)でアリウス派の思想がどこに表れているのかを探そうとしていた一観光客にとっては、それこそ目から鱗!の発想の転換

 

アリウス派から正統派の領土へ

アリアーニ洗礼堂というのは、イタリアに侵攻してきた東ゴート族が、ラヴェンナを首都とする東ゴート王国を築いたときに、アリウス派を信仰するテオドリクス王によって建てられたものです。

その後、東ゴート王国は正統派キリスト教を信仰する東ローマ帝国に滅ぼされ、ラヴェンナ東ローマ帝国の領土となりました。

前述のとおり、アリアーニ洗礼堂をそのまま残していても、正統派キリスト教的に問題なしだった。ということは、問題ありと判断されて、改変されたモザイクもあるということです。

それが今サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂と呼ばれる教会です。

 

テオドリクス王の宮廷付属聖堂

サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂は、もともとテオドリクス王の宮廷付属聖堂として建てられました。(この聖堂の隣にテオドリクス王の宮殿があったのですが、今は残っていません。)

正統派キリスト教である東ローマ帝国支配になった時、宮廷付属聖堂は聖マルティヌスに捧げる聖堂に変えられました。(聖マルティヌスは異教徒と勇敢に闘ったことでも知られている聖人です)

さらに9世紀頃になってから、今の名称、新しい聖アポリナリスの聖堂=サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂という名前になったのだそう。

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テオドリクスの宮廷聖堂→聖マルティヌス聖堂→サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂

 

サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂のモザイク改変

東ローマ帝国ラヴェンナを支配したときの皇帝は、有名なユスティニアヌス帝

熱心な正統派キリスト教徒であったユスティニアヌス帝は、宮廷付属聖堂に残る、アリウス派やテオドリクス王の痕跡が許せなかったようです。今もサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂のモザイクを注意深く見ると、どのような改変が行われたかが、わかるんだそうです。

 

改変の痕跡1・キリストの一番近くにいる聖人像

この聖堂のモザイク装飾で一番目を引くのは、バシリカに描かれた聖人の大行列です。

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男性聖人の行列を率いる先頭の人物は、黒いガウンをまとっていて、斜め上に「聖マルティヌス」と銘があります。

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聖マルティヌス聖堂となったのは、東ローマ帝国支配となったあとですから、テオドリクス王時代にはなかったモチーフであることは間違いありません。

ここのモザイクは、聖マルティヌスに捧げる聖堂に変えたときに改変されたものだそうです。

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もともとのモザイクでは、ここの人物は誰だったのでしょうか。確かなことはわからないようですが、テオドリクス王本人が描かれていたのでは、と考える説があります。

自分の宮廷の聖堂ですから、キリストに一番近いところに王自身が描かれているというのは、すごく自然で納得できます。

 

改変の痕跡2・クラッセの街を囲む塀

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聖堂に入って左側は、女性聖人の行列です。

この行列のスタート地点のモザイクに、ラヴェンナの近くのクラッセの港と街が描かれています。

ラッセの街を囲む塀はのっぺりとして、不自然に何もない壁が描かれてます。

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ここには、テオドリクス王の廷臣や家族など、あるいはアリウス派の聖人や司教たちの人物像が描かれていたのだろう、とのこと。

いずれもユスティニアヌス帝にとっては不都合な人物だったということで、塗り潰されたようです。

ラッセの港から続く金色の壁部分は、もともとはガラスのテッセラ(モザイクを作るときに使われる小片)で作られていたところを、大理石のテッセラで改変したのだそうです。微妙に色が変わって見えるのがその違い?肉眼では大理石とガラスの違いがわからなかったのですが・・・。

 

改変の痕跡3・宮殿(パラティウム)のカーテン

ラッセの街のモザイクと向かいあった壁面、男性聖人の行列のスタート地点には、パラティウムと記された建物が描かれています。これはもともとテオドリクス王の宮廷として描かれたものだそうです。

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この宮廷の中央ものっぺりした金色の空間があるのみで、連なるアーチには全てカーテンがかかっています。

ここも、本来はカーテンなどではなく、テオドリクス王に近い者、アリウス派の司教たちの人物像が描かれていたものと推察されるそうです。

金色の空間にはテオドリクス王自信の騎馬像があったと考えられているようです。

ラッセの街で塗り潰された人物たちと同様、ユスティニアヌス帝にとっては、いずれも残してはおけない人物たちだったそう。このため、塗りつぶされ、あるいはカーテンで隠されたのだそうです。

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ここで面白いのが、カーテンで隠されてしまった部分をよく見ると、柱のところに隠し切れなかった手や指がちょっとずつ残っているところです。

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右から二番目の柱

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一番左の柱

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一番左・右から二番目の柱

これらの手から想像するに、描かれた人物は、テッサロニキのロトンダのモザイクみたいなポーズだったのかな、と思ったりしました。

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テッサロニキのロトンダのモザイク。描かれている人物は両手を広げたポーズ

隠しきれなかった手をアップ。

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それにしても、ここまで隠すのなら、なぜ手や指を中途半端に残したのか、不思議です。手抜き作業?もしかしたら見せしめのためだったのかもしれません。

 

ラヴェンナの歴史

ラヴェンナは何度も支配者が変わって、歴史はそれなりに複雑ですが、栄えていたのは6世紀頃まで。その後はすっかり歴史から忘れられた街になりました。

そのおかげで、中世のイコノクラスム(聖像破壊運動)にも巻き込まれずに素晴らしいモザイク芸術が残ったのだから、ありがたいことです。

何も知識なしで見ても素晴らしいモザイク芸術ですが、歴史に沿って見てみると、さらに面白いです!

さすがにもう行くことはないと思うけど、もし次行けるなら、建築物のできた順に回って見るということもしてみたいです。