イスラエル旅行、観光3日目の後半です。オリーブ山から降りてきたら、ヴィア・ドロローサ(キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いた巡礼路)のウォーキングスタート。
目次
ヴィア・ドロローサの巡礼ウォーキング
オリーブ山に続いて、城壁内のヴィア・ドロローサをウォーキング。キリストが十字架を背負って、ゴルゴダの丘で処刑されるまでを辿った道です。
途中に聖書の記述をもとにした、14のステーション(日本語だと「留」)というチェックポイントみたいなのがあります。それぞれ、キリストに起きた出来事の場所、ということになっています。
Wikipediaによると、帝政ローマ時代から、このような巡礼の道があったそうです。
14世紀にはフランシスコ会がエルサレムと巡礼の地を管理していたとのこと。昔の巡礼路や、昔のステーションの場所も古い記録にいくつか残っているみたい。今のヴィア・ドロローサとは完全に一致してはいないものの、いくつかは同じ場所なのだそうです。
実際にキリストが歩いた場所を特定するのは不可能だけど、ローマ時代からキリスト教徒たちが歩いてきた巡礼路を、今も辿れるのが魅力的。
毎週金曜に、フランシスコ会の修道士たちがこの道を行列します。観光客も後にぞろぞろついていけるようです。
この日は金曜日じゃないので、単独ウォーキング。巡礼者用に、なんと有料スマホアプリも出てます!英語だけど。iPhoneだけなのかな?
ステーションを踏破するごとに何か聖なる経験値がアップしていく気がする。では行ってみよう。
1:判決
どうやっても見つからない。後で知ったのですが、その場所は今イスラムの小学校で、普段は閉鎖されているらしい。
2:鞭打ち
鞭打ちの教会、というのが建てられています。ステンドグラスも鞭打ちがテーマ。
3:倒れる(1回目)
最初に倒れたところ。アルメニアンカトリックの教会となっています。アルメニアにもカトリックがあるのか!という驚き。
倒れた十字架のキリスト。
内部の壁画。スケルトンキリスト。
4:母マリアが見る
この教会、地下にビザンティン時代の床モザイクが残っています。マリアのサンダル、と言われているモザイクがライトアップされてました。(写真撮影禁止。)
5:シモンが代わりに十字架を持つ
中に入れない、5番目のステーション。
6:ベロニカがハンカチでキリストの顔をぬぐう
6番目のステーションを探しながら商店街を歩く。見つからないなーと思っていたら、上の方に文字を発見。拡大。
あっここだ。
こちらも入れません。
7:倒れる(2回目)
人込みの向こうに、7番目のステーションを発見。
ここも外から見るだけ。
8:エルサレムの女性を慰める
8番目のステーションの小さな案内版。
この石が何か重要っぽい。
9:倒れる(3回目)
来た道をちょっとだけ引き返し、右折。
ごちゃごちゃしたアラブ人商店街、スークの中に突然空間があって、上に続く階段があります。わかりにくい。この階段から9番目のステーションに行けますが、団体観光客のガイドが旗を持って立っていなかったら、素通りしていたと思う。
上はコプト正教教会。聖墳墓教会と接していて、たぶんゴルゴダの丘に接するように建てたのではないかな。
ステーションの印。
コプト正教会聖堂の入口。
この貼ってある写真は、コプト正教の総主教かな。髪型(帽子?)かっこいい。
こんな感じの屋上です。下の建物はエチオピア正教の聖堂らしい。
向こうに見えるのが聖墳墓教会。
エルサレムは普段ヨーロッパの観光地ではあまり見かけない、エジプト(コプト正教徒)、エチオピア(エチオピア正教徒)の団体客が多くて、国際色が豊かです。区別はつかないけど、シリア正教徒のシリア人もたくさんいるのかもしれない。
Egypt Travelという旅行会社の帽子をかぶっているから、エジプトから来たコプト教徒だと勝手に断定。
10:服を脱がされる
ヴィア・ドロローサの10~14のステーションは、最後のゴルゴダの丘の出来事で、すべて聖墳墓教会内です。人混みがすごい。
10番目のステーションも教会内にあると思って、探しても探してもわからなかったのですが、ここ、教会の外側に飛び出たところでした。
ないなー、どこだろーって探してたけど、何度も通り過ぎていたところだった。
11~14は後日にもちこし
場所がはっきりわかっている11以降のステーションの場所は、どれも行列がえげつないので、後日ちゃんと観光することにします。
ちなみに、11から13は、
こんな感じで、さらに、
こんなんです。ぎっしり。
聖墳墓教会、ステーション以外を観光
ヴィア・ドロローサのステーションはまた行くにしても、せっかくなので、聖墳墓教会のその他の場所を見ることにしました。
なお、ステーション11~13は、11:磔にされる、12:息を引き取る、13:磔から降ろされる、というポイントで、入口の右手に集中してます。(つまりそこがゴルゴダの丘だった、ということ。)
ステーションの14は遺体が埋葬され、3日後に復活したという場所。ここがキリスト教の教義の一番のキモ、復活という大事件のあったその場所です。
キリストの墓の場所にある礼拝堂がこれ。
天井のドームが美しい。
それにしても、人、すごい・・・
キリストの墓に並んでいる人々。
ちょっと後ろに下がると、ローマ・カトリック(フランシスコ会)管轄エリアの礼拝堂があります。
古い柱の柱頭彫刻がなかなか立派です。
この教会、古い時代から続く聖地だっただけあって、やたら古そうな建物と、新しい部分とが混ざっていて、興味深いです。
この通路の奥はギリシャ正教管轄エリアの礼拝堂。ここはすごく人が少なかったです。
足元にはギリシャ正教マーク。
聖ヘレナ聖堂に興奮
そのまま奥に行くと、アルメニア正教の管轄エリア、聖ヘレナ聖堂になります。
そして、手前には床モザイクが。
これ、一番手前に描かれているのはノアの箱舟だと思う。
ノアの箱舟が到着したという伝説のあるアララト山は、今はトルコの領土ですが、かつてはアルメニアの山で、たぶん日本人にとっての富士山くらい、アルメニア人のアイデンティティだったもの。
今もアルメニアでは「アララト」という名前のブランデーが売ってたり、「ノアの箱舟の破片」がうやうやしく保存されてたり。(数年前のアルメニア旅行で見てきた。)
ノアの箱舟とアララトは、アルメニアのものって意識が強いんだと思います。
そしてこのモザイク、9等分された枠の中に描かれている建物は、アルメニアに現存する教会なのでは・・・!!
これ。エレヴァン郊外にある聖フリプシメ教会では?!
それからこれは、フリプシメ教会の近くにある聖ガヤネ教会に見える。
これは何だろう。。。ゲガルド修道院のようにも見えるけど、ハフパト修道院のようにも思える。
この真ん中にあるのはエチミアジン大聖堂じゃない?!
教会の銘が全部アルメニア語なので解読不可能。でも、大好きなアルメニア教会建築がたくさんモザイクで描かれてました。
この床モザイクは古そうに見えますが、アルメニア国内の聖堂が、立体感や縮尺も忠実に描写されている、こんなデザインは古代には見られないと思う。
そう思って、あとで調べたら、やっぱり20世紀の作品でした。なのに、しばしばガイドが「古代のモザイク」と間違った説明をする、とも書かれてました。(Wikipediaが正しければの話。)
聖ヘレナ聖堂の他にも、アルメニア教会管轄エリアはすごくアルメニア色が強くて面白い。
アルメニア教会建築の特徴、尖った三角屋根を模した礼拝堂。
アルメニア語を全面に出した祭壇。
祭壇下のレリーフは、キリストを絶命させたというロンギヌスの槍(左)と、それが見つかったというゲガルド修道院(右)です。このゲガルド修道院、洞窟と一体化して建てられた教会で、すごくかっこいいのです。これを見るとまたアルメニアに行きたくなってきた。
それにしても、日本でも世界でもほとんど知られていない、ヨーロッパでもかなりマイナーなアルメニアという国が、ここまで存在感を主張する場所が他にあっただろうか。(いや、ない。)
岩がむき出し!十字架発見の聖堂
聖ヘレナ聖堂の横の階段を降りると、ローマ・カトリック管轄エリアの聖十字架の聖堂があります。
十字架がここで見つかったらしい。
岩がむき出し!
むき出しの岩とか大好きです。エルサレムの一番の聖地、聖墳墓教会でこういうのを見られて嬉しい。
フランシスコ会管理エリアのミサ
フランシスコ会管轄エリアで、ミサが始まったのを見学。
ぞろぞろ歩いてきて、止まったところで、何やら朗読とか始めました。他に数人の観光客のいる前で、すごくイエス・キリストっぽい服と髪型の人(本人は大真面目だと思う)を発見。
すぐ横にいた西洋人のお父さんと小学生くらいの女の子が、二人してそれぞれのスマホで、その人をバシバシ撮りまくってました。特に女の子の方がめっちゃ凝視してて、子供は素直だなあと思った。
ドロローサのステーションのエリアは、後日早朝に頑張って見に行くことにしました。
翌日は一旦エルサレムを離れ、ガリラヤ湖畔とナザレの聖地に行ってきます。
(続く)